気持ちいい秋晴れだ。
今年は涼しくなるのが早かったから、真夏は無理だったベランダ制作を再開できている。
昨日は、このところ描いてきたじいじいの連作を並べて眺めてみた。
亡くなった直後に描いたものから時間的経過の順に並べると、やはり変化や揺れがある。
今回それでいいと思っている。
はじめて不在の人を描く中では完成度よりも試行ということを優先させたからだ。
これまでの自分以外のところに触れたかった。
それより難しかったことは感情のことだ。
感情の振れは日々に大きなエネルギーをくれる。
それは大事なことだと思っている。でもその中に埋没するのは避けたいと思っている。
ものの本質に迫っていきたいと願ってきた。
そのためには感情より理性、信念、また意識より無意識の方が必要なのだ。
たとえて言うと、画面の近くで筆を動かしていても絵は見えない。
一歩ひいて後ろに下がった時はじめて全体像が見えてくるというようなことだ。
もしくは意識下に入ってゆけた時になにかがあるんじゃないかと思う。
そういう点で今回の制作の難しさがあった。
感情や意識を越えたところにはじめてじいじいとの関係が、生死があると知りつつも
強い感情との闘いも長かったと思う。
それが作品にどう影響しているか、まだ客観的には見られないし
もう作品として独立すれば制作者側のこんなことも不要で
見る人のそれぞれの受けとり方が何通りもあるのがいいと思っている。