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ふりつもる線

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2008年 08月 10日

大阪

幼少時の数年感というのは、風景の捉え方をある種決定づけるのかもしれない。
私は中学校から京都に出たから、もう京都とは14年関わってきたことになる。
それでも自分を京都人だと思ったことはない。
私はれっきとした大阪人であり、否応無しに私には山坂生まれの血が流れている。
そういうことを折に触れて感じる。
先日は久しぶりに大阪の町をちょっと歩いて、やっぱり面白いなと思った。
昔は梅田なんて気どってて、面白いのは断然ミナミだと、キタに行こうともしなかったが
京都に慣れて久しぶりに行くと、梅田にも京都にはない面白さがたくさんある。
路地から路地をあるいていて、次が予想できないのがいい。
流行りの服屋がつめこまれた華やかなビルのすぐ横丁にうらぶれた赤ちょうちんがあるし
埃のかぶったレコード屋や、そしてやっぱり至る所にお好み焼き、たこ焼き。
こういう同居は京の町にはほとんどない。碁盤の目で迷うこともない。
鴨川のある京都が好きだけど、どこかあっさりしすぎていてさびしく感じる。
それでも夜の京都はまた違う。鵺の鴨川に揺らめくあかりの滲みや柳はぬるりとした
女の怨念のような怖さと色気がある。大阪にこの感覚はない。

ここ数年、大阪には最先端、新感覚と称したファッションビルがさらに増えている。
かつて私にもそういうところが楽しかった時期があったが、
なんでこんなに同じようなものが何個も必要なんだろうと思う。
そういう開発の余波はとうとう地元の駅にも押し寄せた。
個人経営の古い店は姿を消し、かわりにチェーン店とパチンコ屋が駅前をのっとった。
フェンスをこえてホームによじのぼっていたあの小さな駅と息をとめて入った汚いトイレ、
いつも待ち合わせした片隅のベンチはあっという間に消え去った。
線路はコンクリートの高架の上に押しあげられ、すべてがなくなった。
改札口の高い天井とあかるい電気、きれいに掃除されたタイル、青春はもうどこにもない。

かわりに違うところで、自分の知っている大阪に出会うこともある。
元町の雑踏にもちょっとそんな感覚がある。
京の日本画(一般的意での)と相容れなかったものがあるとしたら、それはこの血のせいだ。
日本画というのはその名前ゆえに様々な物議を醸す宿命を担ったが、
岩絵具の使い方、発色がどうとか日本的なモチーフがどうとか、
そういうことが日本画の特質だとは到底思えない。
私はどうしようもなく自分の風景からでた線をひく。
それは是非に問わず大阪生まれでしか、日本人としてしかありえなかったものである。

by ai-pittura | 2008-08-10 13:12 |


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