なんだか受動的なところがあまり好きになれなくて、もともとテレビはそんなに見る方じゃない。
だから、こわれて音が出なくなってから余計に見なくなり、
今は新聞をとる余裕も無いので、気づけばわりと長く世の中と離れていたかもしれない。
先日、テレビ余ってるよという友人からありがたく譲り受け、
音がでるってなかなかすごいもんだと思いながら、久しぶりに時々見ている。
改めて驚くのは、毎日のように変な殺人事件が起こっていること。
尋常じゃない事件があまりに多く、さらに秋葉原の悲劇的な事件。
言いようのない憤りと胸の痛みを吐き出す先も見つからない。
思い返せば、1997年、少年による神戸連続児童殺傷事件の戦慄、
あの頃から何かが歪みはじめてきたように思えてならない。
ものをつくることは直接的でないにしろ、その時代をうつすことに他ならない。
たとえば科学を駆使しその時代にのっとたもの、反語的なもの、いろいろあるが
私たちは時代を、国(場)を何らかのかたちで映している。
留学生の友人がよく言ってた。
「日本のテレビはタレントが何かおいしいものを食べてるのかお笑いか流行ものばっかり。」
この言葉は忘れられない。
この凄惨な日本の現実を決して切り捨てたくない。
かと言って流行や先端技術に背を向ける私は宙ぶらりんに空を見つめる。
もちろんテレビの中だけが今の日本じゃないし、
都心から離れたところではまったく違う温度の空気だって流れてる。
ただ、いつも考えるのは、拠り所とはなにか。