人気ブログランキング | 話題のタグを見る

ふりつもる線

aipittura.exblog.jp
ブログトップ
2008年 05月 23日

うつわ

うつわ_b0080173_21191489.jpgうつわ_b0080173_21193025.jpg
ドローイングしてみるが、あいかわらず身体は難しい。
京都市美術館でうつわ考という展覧会をしていて、私はまだ見に行っていないが
最近私も、うつわについてよく考える。(写真は旦那の新作)
この手の中でカポネや銀があっちに逝った時、つめたくかたくなっていくその体のなかに
確かにさっきまで何かが入っていたように思った。
そういえば、人が死んだあと魂が抜けた分だけ軽くなるという『21g』って映画があったっけ。
魂の重さなんてそんな現実的な数字ではかれるかと思うけど
身体は、その人をいれておくうつわだったんだなぁと私は死を通して感じたりもした。
生きてる時は、身体の外と内、そしてその中の洞すべてがつながり連動していると思う。
心は頭にあるとか胸にあるとか、いろんな意見があるけど
私は全身にあると思っている。
すべてのことは体を通して、五感のすべてを通して感じているからだ。
それは色がひとつでは色として成り立たず、となりにくるものによって色を見せてくるように。
ここ数日、いくつかの心温まる手紙が届いた。
封を切り、その人の選んだ紙を広げる。筆跡や、ポストに投函してから家に届くまでの時間のずれ。
手紙はうつわの構造をもっていると思う。
私の青春はある意味、手紙に縁取られている。
高1の時にポケベル、高3の時に携帯を持ったけど、それでも手紙は絶対真ん中にあった。
恋人に、友達に書いた手紙は何百通、いや何千通か。
授業中、まわってくるたくさんの手紙、休み時間になったらしゃべれるというのに
教科書のかげで夢中になって書いた。まぁほとんど恋の話だったなー。
最近はメールがとても多くなった。返事を待つ楽しみも減った。
だからなおさら、ここ数日の手紙に胸をうたれた。内容もとてもしみるものだった。




うつわ_b0080173_20545553.gif

by ai-pittura | 2008-05-23 22:16 |


<< 携帯データ消滅につき      不調 >>