
もうすぐ修論が終わる。
たっぷり2か月半かけてイタリア滞在の消化を
修論というかたちでそのつど吐き出し、進めてこれた。
ようやくいろんなものがまとまってきた。
もともとフレスコや現地の空気に強烈なショックを受けたのが
イタリア熱のきっかけだったけど、
住んでみてイタリアを一知ることは、日本を二知ることで、
流れる日本の血を意識することだったと思う。
日本で絵を描いていく以上、日本の土壌を知ることは必須。
でも日本に住んでる時にはわからなかったことが、
一歩外に出ると自分がふるいのようになる。
あるものとないもの、知ってるもの、知らないもの・・・
森の中にいると森の全景は見えない。
そういう意味で海外に住むって必要なことかもしれない。
あー、もう一回確かめに行きたい。
他の国も歩きたい。行きたい所いっぱい。
イタリアと日本を比べると日本は信じられないくらい湿潤だ。
日本で普通に目にする苔をイタリアでほとんど目にしなかった。
あの広い空と太陽の下で「枯れ」や「寂び」の美は生まれない。
そして、引き算の国日本を身をもって感じた。
日本が今抱えてる問題は数しれないし、
いろんなものを取り込んできた日本は宙ぶらりんでつかみにくい。
でも、縄文の時代から変わらず日本の底辺を流れてるものって絶対ある。
それは普遍的であるはず。

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