

神戸、須磨寺にて行われた
田中泯さんの場踊りを見に行ってきた。
瞼を閉じればいまも泯さんが舞っている。
手と足が大きい。思っていたよりも背が高い。
何かが身体から迸っている。渦巻きのようにリズミカルな波を持って、弧を描いている。
しかしそこには耳が痛くなるような静けさもあって。
場を踊るということ、それは己をみること、
自分がここにいるということと、とりまく場があるということはすなわち同じだ。
場踊りはきっと全身全霊でいまおかれている場を知るということなんだと、私にはそう感じた。
空をあおぐ、石の道に跳ねる、木に顔を埋める、砂で顔をあらう、場を受け入れ
意識から深く潜って身体がしるところを信じること。感じることを確かめ、すすむ。
泯さんのなかの宇宙が樹の枝のように広がってその傘の下に私たちはいた。
身体と、感覚というものをもらって自分がここに存在していることの意味を問いかけられる。
それはまた点をつないで線にしていくことなのだろうと。
私たちは皆、場踊りをしているんだなあ。
泯さん、ありがとう。
必ずまた泯さんの舞いを見にゆく。
踊る直前の泯さん。踊りのなかではとってもチャーミングな一面も。