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ふりつもる線

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2009年 03月 26日

連動

先日、さまよい歩くのぞき見比較文化研究家のりえさんがアトリエに遊びに来てくれて屋台で深酒をする。
北海道、京都、大阪、愛媛、マレーシア、イタリアなどに暮らし、
ヨーロッパや南米などを旅するバイタリティ溢れる彼女と話して最も感じたのが
国から国へと連らなるゆるやかな起伏であったりまるみであったりする。
すべてのものが切り離されて存在するものでもなく連動している感覚。
具体的にそういう話をした訳ではないが、対面して話す中でそんな空気を感じた。
この間、日記に書いたこととつながる。
大きなものの一部ではなくなっていく「個人」。
切り離されたものはバランスをとれなくなってゆく。
五感もそのひとつだと感じる。
先日mohariza6さんが下さったコメントは同感である。

世界中、様々な土地、家々には、それぞれの独特の匂いがあると思います。
動物、人間にもあり、世界は、雑多(:様々な)匂いが満ち溢れていると思っています。
それを、地上をアスファルトで覆い、また、(特に日本で、)家々では、無臭材を噴きまき、
体臭対策や口臭対策サプリが流行り、<無臭世界>が理想のような風潮があります。


無臭指向も然り、度を超えた日焼け対策など普通にある感覚を必要以上に排除することで
崩れるバランスがあるのではないだろうか。
傘がないので新しい傘を買おうかどうしようかと思いながら一年以上過ぎている。
雨の日に仕事に行く時も、バスや電車に乗っている間は傘は要らないし、濡れるのはせいぜい15分。
とは言え、ひどい時はまわりから注目される濡れねずみだけれど 笑
雨に打たれててしばらく経った頃、はっとしたことがある。
雨とは多種多様なのだ。
小粒のやさしい雨、矢のような雨、あたたかい雨、べたつくうっとうしい雨、泣いているような雨、
実に様々な種類があり、肌にふれる雨粒の温度も全く違う。
傘をさしていた頃はどしゃ降り小降りくらいにしか考えたことがなかった。
それは少なからずショックなことだった。
日本は雨の国、
雨につけられた名前は400語をこえるという。(こんな本もあるようです。)
白雨・青葉雨・天泣・小糠雨・ 桜雨・養花雨・育花雨・御精霊雨・秋雨・青時雨・ 鬼雨・狐雨・・・
なんと豊かなことだろう。今の日本人が雨に名をつけるならどうなるだろうか。
雨には放射能物質が含まれていると言われて久しい。
傘をさすに越したことはないだろう。
もちろんそれ以外にも傘の素敵な所はあるが、体感することに膜をつくり、失っているものも同じく大きい。

ネットやテレビが一定の容量を超えて生活に入ってきた時、何かが削りとられていくような違和感を憶える。
なぜだろうと考えた時、ものや情報に接する時の感覚が
視覚と聴覚に限定されているからではないだろうかと思った。
人がものに対峙する時、目だけで見ているのではない。
光や空気の揺れ、その他の様々な目には見えない要素を含めて、連動する五感で体感しているのだ。
心が動くのはそういう時である。

by ai-pittura | 2009-03-26 17:49 | 人間


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