ふりつもる線

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2007年 09月 30日

海月の極意

b0080173_22453080.jpgこの数日、月の光がキーンとしていた。
十五夜、たくさんの人がお月見をしたことだろう。
同じようにどこかの星の人たちが地球を
そんな風にみあげていることもあるかもしれない。
なんとなくそんなことを思っていたら、
描いていたものが月のようになっていった。
段ボール落書きシリーズは、とてもリラックスして描ける。
絵を描く時、はっきり主題を持つことも多いが
日記のように話し言葉みたいに絵を描くことが、
誰もがもつ楽しさの根源と思う。
メモのようなもの、描いている中で動いてゆくもの
そんな中に大事な何かが隠されている。
それを思った時に来年の個展でやりたいことがふっと湧いた。
まずは究極にリラックスすることだ。
さて、明日はいつもの仲間と苔むす寺へ。


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by ai-pittura | 2007-09-30 22:44 | | Trackback | Comments(2)
2007年 09月 30日

蛸とトマトとイタリア語

b0080173_2435878.jpg今日は涼しいを一気に通り越して寒かった。
そのせいか気分が沈んだ。
イタリア映画の音声をBGMに鉛筆を走らせていたら
少しましになったけど何となく落ち着かない。
晩ごはん、最近ずっと作ってもらってたけど
ひさしぶりに料理した。
イタリアンは私担当。オクラとししとう、蛸それから
バジリコ、オレガノ、ペペロンチーノをほうり込み
ホールトマト2缶をことこと煮て水気を全部飛ばす。
オリーブオイルをコップ半分位入れて甘みとまるみを出す。
(イタリアでは家庭によっては1カップ入れたりする)

最後に三角チーズ、クリームチーズ、それからちょっと牛乳を足せばハイ簡単できあがり。
このままワインのおつまみにもできるし、パンにつけてもいいし、パスタソースにしてもおいしい。
ホールトマトはやっぱり日本で買うならspigadoroがいいな。近くの輸入食品店で100円だった。
最近イタリアのことをあまり書いていないけど、忘れた訳でもなんでもなく
また戻りたいという気持ちはいつだってある。
でも、イタリア語に触れる機会が激減しているので、ただでさえまだ簡単なことしか
話せないのにどんどん忘れていくようで不安だ。
今、仕事と授業時間帯があわず講座に行けないので、たまに友人に頼んで簡単な会話をしてもらう。
家でできるだけ流すようにしているのは新しいものからおじいちゃん世代のもの、
伝統的なカンツォーネまでいろんなものを流しまくるシチリアのRadio Margherita
ジャズもわりと多いRadio Città del Capo
Radio Margheritaは友人に教えてもらってからずっとお気に入りで、
笑いさえ呼ぶそのお気楽さ加減が本当に憎めないラジオだ。
いつまた留学できるかはわからないけど、その時は来るべき時に来るだろうと最近は楽観的だ。
望みがうすい奨学金も申請したいが論文何十枚そしてその上それを全てイタリア語訳、
さらには英訳しなければならないよう。本当にヘビーだ。
自分の英語力の無さが腹立たしくてたまらない。(ペラペラな人誰か助けて。)
しかもイタリア語をはじめたことにより、アルファベットはすべてローマ字読みしかできなくなり
スペルもイタリア語でしか出てこなくなっている状態。
英語の必要性をこの1年本当に実感している。やることは相変わらず多い。


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by ai-pittura | 2007-09-30 03:28 | イタリア | Trackback | Comments(10)
2007年 09月 28日

右脳と左脳、私と父

b0080173_23354281.jpg感情記憶が昔からとても激しい。
とてもあたたかいものに触れたことや耐え難い死、
それから理由なきほんの些細なことでも
一回何らかの理由で心にとまってしまったものは
ほとんど記憶が薄れない。
主となるその出来事が、というよりもその出来事の
周辺の映像がくっきりと残る。
その時流れていた音楽だとか相手が着ていた服だとか
何気なく目に入った車の車種とかにおいや気温や
葉脈の入り方、シーツの皺、全部覚えている。
忘れることができないからそれが絵の源になっていくとも
言えるけど、まわりはゆっくり進んでいるのに
忘れられなくて過去に立ち尽くしたままの部分もある。
そうかと思えば、一回人に話したことをすぐに忘れ
同じことを何回も話して「いいかげんにして」と言われたりする。

仕事をしているのに毎回確認をとらないと今日が何月何日何曜日か全く把握できていない。
生徒とデッサンについて話していると調子が出てくるが
デスクワークになるとミスばかりで自己嫌悪になったりする。
これは右脳と左脳の問題なんだろうか?
私の左脳大丈夫ですか?ちゃんとありますか?
そう言えば昔からたくさん本を読んできたせいか本を読むのは相当速い。
でも飛ばし読みしている訳ではなく1ページまるごと一気に目に入っている感じだ。
これは右脳を使って読んでいるということらしい。
指を組んだら左手親指が、腕を組んだら左腕が上に来るから
完全右脳タイプねと言われたことがあるが、これはちゃんとした診断なのだろうか?

今日は父の誕生日だった。
父と私はそういった点において正反対である。
父は大切な話をがさっと忘れているかと思えば
仕事は本当にきっちりこなし、なんでも計画的にしなければ気が済まない。
石橋をたたいて渡るというより、石橋をつくることころから始めるような人で
暗闇の中、石橋を確認もせず酔っぱらい千鳥足で渡る私の生き方はさぞかし心配なことだろう。
でもね、こんな好きなことをしてしあわせな娘が父に願うことは、
余生は本当に体をやすめてほしいということ、それから母とふたりでも楽しんでねということ。


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by ai-pittura | 2007-09-28 23:35 | | Trackback | Comments(2)
2007年 09月 28日

音楽を聴きながら

b0080173_010637.jpg最近小さく切った段ボールにドローイングをしている。
昨日ジプシー音楽の10枚組CDを買った。
その中に信じられないくらいきれいなヴァイオリンを聴いた。
それはどこまでもどこまでも切れめがなく
まるで一本の弦でできているかのように
音から音へ、音の中から音が湧きだしていた。
楽器はどこまで底が深いんだろうか。
一度でいいからそんな生音に触れてみたい。
明日アトリエに置いてある私の昔のヴァイオリンに
弦を張ってみようと思った。

ちなみにこの10枚組CD、友達が教えてくれたのだが他にも
ラテンやブルース、ファド、その他マイルスや
モンク、ミンガス、ピアソラもあって全部2000円以内!
信じられない安さ、でも欲しいものが多すぎる。



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by ai-pittura | 2007-09-28 00:09 | | Trackback | Comments(2)
2007年 09月 25日

コラージュ

b0080173_20415252.jpg先日Yの引出物制作も私の担当分は
無事完了してほっとしている。
残りは旦那担当の器なのだが、窯のトラブルで
先日のはボツになってしまい焦ったが
目処がたち、次の作品には乞うご期待。

私は、二人が出会った海をモチーフに
テーマを「海の片鱗」「海の化石」とした。
古紙とやわらかい薄紙をあわせて
墨やインクで珊瑚の林をつくった。
それを小さくちぎりわけて小さな断片にして
まわりを焼き、(写真)
それぞれ、押し花、レースみたいな葉、真鍮線、
波の模様を描いたグラシン紙などとあわせた。
コラージュのもの以外にも夜の海の絵や
夏の海とサバの詩をあわせたもの等
いろいろつくったけれど
その中で制作にも生かせる発見があった。
さて、来月までにしなければならないこと、
こなしてはいるもののまだまだたくさんある。
とりあえず今晩はポートフォリオ更新のため
パソコンとにらめっこ。



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by ai-pittura | 2007-09-25 20:35 | | Trackback | Comments(6)
2007年 09月 24日

宮沢賢治

最近、実家から賢治の本を全部送ってもらって、もう一度読み返していた。
ことばで絵が描けたり、楽器を鳴らしたりできる人は稀有だ。
ことばがことばを超える時、もうもとのことばは意味から解き放たれる。
虔十公園林、セロ弾きのゴーシュ、よだかの星、春と修羅、銀河鉄道の夜、
好きなものを数え上げるときりがない。
いくつになっても好きなのはやっぱりやまなしで、
教科書に載っていた小学生の頃、国語の授業中私はそのページばかり読んでいた。
ものがものから自由になり、そのものよりもそのものらしくなる、
それが賢治に教えられること、それもまたデッサン。

*やまなし
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by ai-pittura | 2007-09-24 22:26 | | Trackback | Comments(2)
2007年 09月 24日

萩の寺

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京都は夕方からずっと雨になった。
終わり際の萩の花も流れてきっと地面の上は白や紅に敷きつめられていることだろう。
先日、出町柳近くの常林寺という萩のお寺に行った。
拝観料もない小さなお寺の中は背丈ほどもある萩の海だった。
その中にひとり時間も忘れてしばらく立っていた。
今日、御所近くの梨木神社を通ったら、萩まつりをしていた。
境内の萩には花を愛でながら読んだ俳句や短歌が結わえ付けられており、とても風流だった。
自転車で徘徊していると偶然うつくしいものに出会えるのも、京都ならではかもしれない。

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by ai-pittura | 2007-09-24 21:11 | 京都 | Trackback | Comments(2)
2007年 09月 22日

擱筆

b0080173_17141443.jpg象の絵、本日筆を置きました。(写真は部分)
この大きさがこんなに早く仕上がったのは初めてだ。
それでも描きすぎたかもしれない。
旦那にはもうちょっと前の方が良かった、
(いつもながら)やりすぎたかもねと言われ
首をふることはできない。
制作するもの同士、ひとつ屋根の下に住んでいると
相手の率直な感想は意外に無視できず
時々、私よりも私の絵をわかっているんじゃないかと
思うほど的確な意見に驚くこともある。
制作者同士がそれがもとで喧嘩になる例もよく聞くが
不思議とそれはない。

私の親友と旦那は偶然にも両方陶芸をしているが、二人ともどことなくまるいものを作っており
そういう人たちだから直情的な私とうまくやってくれるのかもしれない。
今回の象の絵は描き終えて久しぶりに爽やかな気持ちになった。
500m全力で走り終えたような。
公募展を目指して作った作品でも誰かに依頼された作品でもない。
売ることも保存していくこともすべて頭にはなかった。
画心展を控えた作品だったけれど失敗なら失敗作を出せばいいと思って描いた。
バランスがこわれてもいい、きれいにまとめたような作品になるのは嫌だった。
それはこの作品を通して体に染み込ませた感覚が、
次か来年に描く大作のために必要なものだと感じていたからだ。
その目的を曲がりなりにも達成できたかもしれない。



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by ai-pittura | 2007-09-22 17:11 | | Trackback | Comments(6)
2007年 09月 19日

修学院離宮

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イタリア人T、Y、ゆいと修学院離宮へ。
修学院離宮は総面積54万5千㎡を超え、標高差は40m。
80分かけてぐるりと一周する。
中に入ると京都市内が遠くに見える一部の場所をのぞいて、他からは山林田畑しか目に入らない。
そして見える景色の中に人のすがたがない。
その非日常的な空間がそうさせるのかはわからないが、私は景観を楽しむ前に
まったく浮世離れしたその情景がとても遠いものに感じた。
池のまわりに立つ木々も山歩きの時に触れるようなざわめきをもたず、
うそみたいにただしんと押し黙って平かな水の上にかたまっているようだった。
ぽっかりと違う空間の中に離宮はあって、それはどことなく死後の世界のような、
古人が夢に見た極楽浄土のようなそんな印象を私は受けた。
その中で上離宮から下に降りてくる時に見えた、黄金色の田んぼ、トラクターの音、
ささやかな菜園、芋科の植物らしき葉、コスモス、彼岸花、かかし、
それらがあたたかい親しみをもって私に触れてきた。


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by ai-pittura | 2007-09-19 18:30 | 京都 | Trackback | Comments(6)
2007年 09月 18日

絵の呼吸

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今描いている象の絵の部分。
私の描く道具は筆、刷毛、箒、枝、たわし、スポンジ、指、、、
その辺にあるものは意外と何だって描く道具になる。
それから火。
今回は紙を支持体にしているから火は使えないかなと思っていたけど、
段ボールに四角くちぎった薄黄紙を貼り、膠で強化しているので調節すれば火も使えると知った。
でも、土の支持体だとできる「削る」作業が紙だとできない。
その代わりに「洗う」、そして貼った紙を「剥ぐ」ことでマイナスの作業をする部分をつくる。
私はプラスとマイナスの作業で絵をつくっていけないと息詰まってしまう。
それはつまり呼吸するのに似ていて、
画面の上に「描く」というプラスの作業だけだと、なんだか絵が息を吐き続けるようでしんどそうなのだ。

昔、紙に描いていた頃、学校の広場のシャワーで思いっきり絵を洗いながら、自分も一緒に水浴びしてたっけ。
でも紙が乾くのを待ちきれずに描きはじめると、
すぐぼろぼろになってしまう紙に限界を感じていつのまにか紙から遠ざかっていた。
日本画によく使う麻紙はとても高価だ。もちろん大きくなればなるほどさらに高価になる。
大作にせっかくきれいに水張り(パネルの縁にだけ糊付する方法)できても
激しい作業の末に破れ、ぼよんぼよんに波打ち手の施しようもなくなった紙に悔し泣きしたこともあった。
去年から土の支持体に紙を継ぎはりするようになり、
小さくちぎった紙の柔軟性を知り、破れ継ぎは作業工程の中で本当にしっくりきた。
日本には裂織という精神がある。
昔、東北地方や寒冷地など木綿がなかなか手に入らない地方の人々は
木綿のほんの切れ端でも宝物のように大事にし、パッチワークみたいに当て布をして継いだ。
それがぼろぼろになると今度は裂いてたて糸として使った。
昔の人の知恵でできたその裂織の実物はほろっと涙がでるくらいにそれはそれはきれいなものだ。
私は今回はじめて段ボールに描いてみて、時々そのうつくしさにドキッとする。
今私が使っている薄黄紙の重ね目も好きだ。
どちらも安価なものだけど、そこに命を吹き込んでやりたい。
どんなものに描いても、どんなものを使ってもいい絵は必ず描けるはずだ。



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by ai-pittura | 2007-09-18 21:01 | | Trackback | Comments(4)