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カテゴリ:久高島( 10 )


2008年 10月 15日

電話

b0080173_12514831.jpgふと声が聞きたくなって久高島に電話した。
ここから約6時間の隔たりを越え、
久高の景色がうねりながら細い電波の線をつたって
眼前に飛び込んできた。

三線のじじい、脳梗塞で倒れよったけどいま病院で
リハビリして元気にしとるよ。
それ以外はなんも変わっとらんよ。
古波のおじいからあんたに電話するように言うとくよ。
ほんであんたいつ来るね?

胸が熱くなる。
ここには逞しく、雄大で、しかし小さなことで腹を立て
すぐ人のことに首をつっこみ、意地を張り、酒と共に泣き笑い
そしてその土地に誇りを持って生きる男達女達がいる。
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by ai-pittura | 2008-10-15 13:09 | 久高島 | Trackback | Comments(4)
2007年 12月 13日

久高のある夜

b0080173_17472532.jpg久高島であるおじぃと出会った。
おじぃの仕事は農業、沖縄の民謡を愛していて、
ポケットに古びたカセットテープを持ち歩いていた。
おじぃはとびきり唄が上手でもなく、さんしんも弾けないのだが
民謡がとても好きだから、
長い時間をかけてさんしんを手づくりしていた。
そのさんしんはほぼ完成間近だったが、出来がどんなものか、
音の調子はどうか自分ではわからないからと、
酋長に試し弾きを頼みにきていた。
音は、、上等だった。
安心したおじぃはラジカセにテープをセットして
民謡にあわせて、小さな声でところどころ唄い、
まったくはずれた音だったが、でたらめに一生懸命さんしんを
ぽろんぽろんと弾いていた。
そんなおじぃを私は横でスケッチしていた。
その夜、一緒に飲まないかとおじぃに誘われた。
海を見下ろす小高い丘のようなところで、民謡を聴きながらおじぃは私を待っていてくれた。
やっぱりラジカセと一緒だった。
それから、泡盛まさひろを買って浜におりた。
目の前は沖縄本島の薄明かり、後ろは漆黒の闇に満天の星だった。
おじぃの話をたくさん聞いた。育てている月桃やドラゴンフルーツのこと、
離島フェアでは島らっきょうがよく売れたこと、家族のこと、
本島でのしんどかった出稼ぎ工事のこと、沖縄から一度も出たことがないこと、
雪を見たことがないこと、久高の生活をとても好きだということ。

おじぃを描いたスケッチを近々送ろうと思っている。



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by ai-pittura | 2007-12-13 17:46 | 久高島 | Trackback | Comments(4)
2007年 12月 05日

絵のはじまるところ

b0080173_23124585.jpg久高島にはよろずやのような小さな商店が3つだけある。
それ以外に店はないので、
商店にないものを手に入れようと思ったら
本島に渡るか自分でつくるしかない。
本島への船は1日に6本あるが、少し波が高いとすぐ欠航になる。
実際、私が久高に渡ろうと安座真港に着いた29日、
台風は熱帯低気圧に変わり、もう過ぎ去ったあとだったが、
波がまだ少し荒く、船着場の張り紙は欠航の知らせだった。
その日はもう久高に渡ることができないので、
仕方なく港近くの宿をきこうと人を探したが
まわりは家もほとんどなく、歩いている人もおらず、
久高の人に電話で聞いて、何キロか歩いて見つけた民宿は
まっくらで宿の人もいない、という状況。
なんとか宿の人と連絡がとれ、帰りを待っている間、
喫茶店とスーパーをひとつずつ見つけたが両方閉まっていて、
結局何時間か民宿の軒下で雨をしのぎ、本を読んで過ごした。
夜はちかくの酒場に行き、ひとり酒。最後まで客は私一人。
(こういうのは、その時、幾分悲愴な気分だが
あとになると良い思い出だ。)
話が横道にそれてしまったが、島人が物資を調達しようと思ったら、
本島に渡ってからまだだいぶ先まで行かねばならない。
そんな状況下にあるからか、
島の人の生活の中にはものをつくることが当たり前にある。
みんなで協力して家を建て、水をひき、墓をつくる。船をだして漁に出て、畑を耕し、塩をつくる。
服が破れたら布を継ぎ当て、車のタイヤがペコペコになったら自転車の空気入れでいれる。
そして、ものをつくる中にあそびごころがある。
打ち上げられた浮き球の中に電球をいれてあかりにしたり、
ありあわせのものを利用して扉の鍵のかわりになる仕掛けをつくったり・・・。
絵を描き、さんしんまで手づくりするアキというおじぃもいた。
いわゆる名をつけるならば彼らは建築家であり、百姓であり、漁師そして絵描き。唄い手で舞踏家。
私は、久高という特異な場に、
いま「芸術」とよばれる類のものの起源を見る想いがして胸を打たれていた。
そして、島人のそんな生きる知恵や豊かさは、彼らの生命力に直結していた。
日本画、洋画というカテゴリー、団体展や無所属、絵の行く先、日本とは、、、
ものをつくることを選んだことに対して、、、
京都で毎日考えてきたし、これからも考えはする。
しかし、なんのことはない、ものをつくることも絵を描くことも、
本来そんなこと意識せずとも人と共にそこにあるのだ。ごく自然に。
それを久高で体感できたことが、これから私のひとつの支えになる。


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by ai-pittura | 2007-12-05 23:53 | 久高島 | Trackback | Comments(5)
2007年 12月 04日

帰京

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ただいま、久高島より京都に戻りました。
今回の旅は、いい意味でもそれ以外の意味でもリアルな旅だった。
ほとんどを土地の人と過ごし、観光でなく普段の生活を共にさせてもらったことで、
直に久高の一部に触れたという実感があった。
その中で、浮かんできたものや発見したこと、それと同時にあった楽しさ、そして苦さ。
また、それを上回る良き出会い・・・これからすこしずつ書いていきます。
まず、いちばんはじめに
残念な報告があります。
来年、本島ですると言っていたライブドローイング、
下見もすべて終わった後に、重要なところで折り合いがつかなくなってしまい
今回はお流れになってしまいました。
ほとんど決まっていた話なだけに、私自身残念です。
そして、来る予定を立ててくださっていた方々、ほんとうにごめんなさい。
でも、いつかまた違うかたちで実現できたら、と思っていますので
その時はどうぞよろしくお願いします。


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by ai-pittura | 2007-12-04 22:10 | 久高島 | Trackback | Comments(5)
2007年 11月 28日

連絡途絶えます

明日からまた久高に行きます。
なので5日間ほど音信不通になります。
しばし帰りをお待ちください。
今回の目的、
島の北側にもう一度ゆっくり行くこと。
本島、ライブドローイングの場所下見、酋長とうちあわせ。
さんしんと舞踏を観ること。
できるだけドローイングすること。
島の人と話すこと。



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by ai-pittura | 2007-11-28 23:26 | 久高島 | Trackback | Comments(0)
2007年 11月 09日

久高のコトバ

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おばぁと一緒に国会中継を見た。
私が知り合った久高の人たちは政治にとても関心があり、国会中継などは特に見ると言っていた。
東京の人はこんな島のこと、忘れてるさね。
おばぁの一言が突き刺さって抜けなかった。
酋長は言った。
久高では野菜は畑からもらえばいいし、魚は海から、お米を買うお金だけあったらいいさぁ。
久高島の人たちは、個人の所有物として土地を持っていない。
土地は字の共有財産であり、それぞれが字からわずかに土地を借りて住んでいる。
空や海を所有しないのと同じように、
昔の久高の人は地を所有しようという考えをもたなかったのだろう。
その制度は今も残っている。
月や火星の土地まで売買するようになった現代の心がこわくなる。
久高は携帯も通じないし、どこでも裸足で歩くおじぃやおばぁがいるし、
酋長の家にはトイレもない。(つまり用を足す場所は裏のアダン林の中か海の前か、毎日好きに選べる!)
全く久高で私は、水を得た魚のようになってしまった。
京都での日常はなかなかそういう訳にもいかないが、
私は、今日のごはんを得るためのお金と、明日も絵を描く未来があればいいと
いつも晴れやかな気持ちでいたいものだ。
そして、しばらく家をあけたりする私の理解者であり、いつも支えてくれる旦那に感謝したい。


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by ai-pittura | 2007-11-09 22:18 | 久高島 | Trackback | Comments(6)
2007年 11月 08日

久高島人間風景

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久高島が、私にとっての久高島としてあるうつくしい輪郭をもったのは
島の人々との交流を通じてだった。
スケッチブックを片手に島をひととおり歩いた後、私はあるおじぃと出会った。
ちょうど映画サンサーラのサンサとクリックのように、衝撃的、しかし用意されていたかのように。
その人は久高島の民謡の唄者で、家から三線の音が漏れていた。
絵の話、三線の話、久高の話、過去の話、囲炉裏端でさんざんいろんな話をして、
彼の住拠の壁(ポストの横)に墨で絵を描かせてもらい、
(次の日にきた郵便屋さんはびっくりしたことだろう。)
島にいたほとんどの時間をそこで過ごした。
話は盛り上がり、来年沖縄本島で三線ライブドローイングをやろうということになったのだが、
私が京都に帰った後、話を進めていただき、どうやらそれは現実になりそうだ。
そしてまた、その中で島の人々ともいろいろ話し、食事を共にした。
どこでもそうだが、土地の食べ物には人間風景がある。
特に眼玉と眼のまわりのゼラチンがうまいよとセイブンさんが作ってくれた
シマアジのお頭の煮付けは涙がでるほどおいしく、泡盛によく合った。
そしておさしみの烏賊の甘かったこと。
島唐辛子をつぶしていれた醤油につけて、喉があつくなった時に流し込むビールはたまらない。
酋長特製のゴーヤーやきそば、ハナおばぁの辛菜のシチュー、ほんとうにごちそうさま。
酋長、ハナおばぁ、セイブンさん、かっちゃんおじぃ、テツにぃ、ノリにぃ、
おじぃ、ひげの船長、ユリちゃん、ナナちゃん、、、
それぞれの人が抱えてきた負と強さを含めて、久高の人のうつくしさに打たれた。
これから私はしばらく彼らを絵にしたいと思っている。
そして取材のため、今月末また久高に行ければ、と思う。


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by ai-pittura | 2007-11-08 00:29 | 久高島 | Trackback | Comments(7)
2007年 11月 06日

久高島猫事情

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by ai-pittura | 2007-11-06 23:57 | 久高島 | Trackback | Comments(6)
2007年 11月 04日

久高島の印象

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久高に着いたのは夕方だった。
島のおばぁに「明日から祭祀で島の北側には行けなくなるから、
日が暮れるまでにいそいで回っておいで。」と言われ、すぐに自転車で出発した。
島の突端、カベール岬に着いた時、日はすでに傾きかけており、
祭祀の準備も終わった北側はすでに私しかいない状態だった。
クボー御獄の森で言いようのない感覚にとらわれた。
まるでタイムスリップしたかのような信じ難いほどの遠さがそこにあった。
弥生や縄文のころにきっとそうだったであろう、人間と自然との関係に初めて触れていた。
白装束の卑弥呼が森の中からでてきても、その時の私は何ら驚かなかったはずだ。
今になって思い返しても、久高島という場所は普段私たちの暮らす日本から
時間的、空間的に著しくズレがあるところだと思う。
久高には日本の原初的なすがた、そして深い精神文化がある。
京都に帰ってから、比嘉康雄氏の「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」を読んで、
あの時の経験は確信となり、鳥肌が立った。
久高には集落にも小さな祠や拝所が多くある。
そして、そのまわりはほとんど生い茂る樹に囲まれ、その中に古いがじゅまるがいた。
その小さな森の中で何枚かスケッチをさせてもらった。
畏怖と安堵が綯い交ぜになって説明のつかない気持ちだった。
描いている間、自分が生きているのか死んでいるのか、
自分は人なのか樹なのか、わからなくなったりした。
久高の印象は私にはコントラストの強い白黒写真のイメージに極めて近い。
そして、島にはシャッターを切ることができなかった場所も多くあった。
しかし、その分強烈に肌に焼き付いたいくつかの風景が残っている。


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by ai-pittura | 2007-11-04 18:22 | 久高島 | Trackback(1) | Comments(9)
2007年 11月 03日

久高島に行った訳

b0080173_2020209.jpgどうしても小さな島に行きたかった。
歩いてまわれる大きさの島に行きたいと思っていた。
そして次の作品になるかならないかはわからないが
私は古いがじゅまるに会いたかった。
本島周辺の離島で条件にあてはまった島はまずI島で、
ほぼそこに決めかけた時、ちょうど私が行く日は
トライアスロン大会の前後にあたり島は競技者や観光客で
ごったがえすとのこと、やむなく進路変更、そして
私は久高島に行くことを決めた。
久高島のことを少し説明したい。
久高は周囲7.75kmの小さな島で、琉球開闢の神、
アマミキヨが降り立ったとされる神の島であり、
海のむこうのニライカナイにつづく聖地とされている。
自然や祖霊を対象とする信仰、古代からつづく祭祀は今でも
行われており、深い精神文化によって生きる島だといえる。
島にはいくつかの約束事があり、祭祀の間は島内の北部に
入ることは禁じられ、また島からは珊瑚や貝、植物など
いかなるものも持ち出してはならない。
久高はリゾート気分や日帰り観光で訪れる様な島ではない。
私は不思議なほど静かな気持ちで久高に降り立った。


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by ai-pittura | 2007-11-03 20:16 | 久高島 | Trackback | Comments(4)