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ふりつもる線

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2007年 12月 05日

絵のはじまるところ

絵のはじまるところ_b0080173_23124585.jpg久高島にはよろずやのような小さな商店が3つだけある。
それ以外に店はないので、
商店にないものを手に入れようと思ったら
本島に渡るか自分でつくるしかない。
本島への船は1日に6本あるが、少し波が高いとすぐ欠航になる。
実際、私が久高に渡ろうと安座真港に着いた29日、
台風は熱帯低気圧に変わり、もう過ぎ去ったあとだったが、
波がまだ少し荒く、船着場の張り紙は欠航の知らせだった。
その日はもう久高に渡ることができないので、
仕方なく港近くの宿をきこうと人を探したが
まわりは家もほとんどなく、歩いている人もおらず、
久高の人に電話で聞いて、何キロか歩いて見つけた民宿は
まっくらで宿の人もいない、という状況。
なんとか宿の人と連絡がとれ、帰りを待っている間、
喫茶店とスーパーをひとつずつ見つけたが両方閉まっていて、
結局何時間か民宿の軒下で雨をしのぎ、本を読んで過ごした。
夜はちかくの酒場に行き、ひとり酒。最後まで客は私一人。
(こういうのは、その時、幾分悲愴な気分だが
あとになると良い思い出だ。)
話が横道にそれてしまったが、島人が物資を調達しようと思ったら、
本島に渡ってからまだだいぶ先まで行かねばならない。
そんな状況下にあるからか、
島の人の生活の中にはものをつくることが当たり前にある。
みんなで協力して家を建て、水をひき、墓をつくる。船をだして漁に出て、畑を耕し、塩をつくる。
服が破れたら布を継ぎ当て、車のタイヤがペコペコになったら自転車の空気入れでいれる。
そして、ものをつくる中にあそびごころがある。
打ち上げられた浮き球の中に電球をいれてあかりにしたり、
ありあわせのものを利用して扉の鍵のかわりになる仕掛けをつくったり・・・。
絵を描き、さんしんまで手づくりするアキというおじぃもいた。
いわゆる名をつけるならば彼らは建築家であり、百姓であり、漁師そして絵描き。唄い手で舞踏家。
私は、久高という特異な場に、
いま「芸術」とよばれる類のものの起源を見る想いがして胸を打たれていた。
そして、島人のそんな生きる知恵や豊かさは、彼らの生命力に直結していた。
日本画、洋画というカテゴリー、団体展や無所属、絵の行く先、日本とは、、、
ものをつくることを選んだことに対して、、、
京都で毎日考えてきたし、これからも考えはする。
しかし、なんのことはない、ものをつくることも絵を描くことも、
本来そんなこと意識せずとも人と共にそこにあるのだ。ごく自然に。
それを久高で体感できたことが、これから私のひとつの支えになる。


絵のはじまるところ_b0080173_20545553.gif

by ai-pittura | 2007-12-05 23:53 | 久高島


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