海の夢をよく見る。
夏の終わりを告げるかのような嵐が京都を濡らし、
今年行けなかったその焦りからか心は夏の海を渇望する。
でも手帳に隙間は無く、アルバムを繰って
いちばんあざやかだった夏の海を旅する。
岩壁にはりつくように肩を寄せあって立つパステルカラーの家々と紺碧のリグリア海は
記憶の中でもまばゆい輝きを失うことはない。
村中のすべてが夏に満ちていて、色がそこら中にあふれて、底抜けの明るさがあった。
落ち着いた色の服なんて着てたら消えてしまいそうで、私は花柄のスカートをはいた。
町も人も猫も何もかもがバカンスの中にあるという感覚を私ははじめて経験して、驚嘆した。
列車がチンクエテッレの中で一番大きな村、Monterosso al mareにすべり込んだ時に
到着を告げる、車掌の幾分誇らしげなダミ声が耳の奥に残っている。
あまりに夢のような時間、
腰がくだけるほどおいしい魚介類とワインに
心はとけていき、一生ここにいようかと思う。
でも違う。
チンクエテッレが年中そんな場所だったら、
私はすぐ忘れてしまうだろう。
冬は住民以外あの迷宮のような階段をのぼる人もいなく、
荒れる沖から帰ってくる漁師の目印になるように
家の壁をパステルカラーに塗って待つ
妻たちの不安と厳しさが裏通りにふとにじんでいる。
だからチンクエテッレは痛いほどうつくしい。
夏は輝き、巡っていく。
今年の夏は過去の思い出で
がまん、がまん。