久々の大作、予想以上に楽しい。
木炭で大体アタリをとり、ちぎった黄和紙を貼っていく。
この時いつも、膠がにじんで濡れた土、色濃くなった和紙の重なり、
濡れた和紙から透けて見える陶土のひび割れに、ほうと見とれる。
ものが水気を含んだ時のみずみずしさには古今の人が魅了されてきたことだろう。
この状態を最後まで残せないものだろうかと思う。
しかし同時に、いや残してはいけないのかもしれないと考える。
それは消えてしまうから素敵なのかもしれない。
いや、消えてしまうんじゃなくて、見えなくなっても
それを内包するようなものがつくれたら
なんていいんだろう。