2010年 02月 02日
最近のことあれこれ
日本画新展、桂での予備校講師展共に無事おわりました。
見に来て下さった方、どうもありがとうございました!
滞在制作から帰って先週は仕事と用事の内あっという間の一週間。
講師展の搬入出、日本画新展の講評、授賞式、レセプション、審査員の先生の大入り満員ギャラリートーク、
たくさんの人との再会があり、新しい人との出会いがあり。
いつも穿いてるボロのジーパンで行った授賞式。
大勢の人前で話す場はやっぱりとても苦手で、でも、美術や日本画の文脈ではなく、
絵の解説でもなく、私の芯にあることを少し話せたと思う。
それでも言葉にならないことはそのままにあたためておこうと思いました。

日本画新展に出している作品はこのあと数人ずつ
グランヴィア京都にて展示していただけるそうです。
私の作品は3/19(金)~4/1(木)2F ホテルロビーにて展示予定なので、
また見ていただける機会がありましたら嬉しいです。

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京都シネマでみたい映画がたくさん上映されていてとても気になる!どれかいきたいなあ。

牛の鈴音
79歳になる農夫のチェ爺さんと30年間もともに働いてきた老牛の話。

パチャママの贈りもの
南米ボリビアのウユニ塩湖の雄大な自然と先住民家族の生活。
監督は日本人松下俊文。

誰がため
第二次大戦中、ナチスの支配下にあったデンマーク。
ナチに立ち向かう抵抗組織の一員フラメンとシトロン。
だが果たしてそれは正義なのか。正義とは?戦うとは?
予告をみてストーリーと結末がとても気になる。

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12月は顔のドローイングをしていた。
版画でも顔の作品をつくった。
人物、顔、まだまだしたいことたくさん。
雨が降っているような、雪が舞っているような、山を戴くような顔。
顔じゃない顔、描きたい!
今日は京都、びゅうびゅう風が吹いてバラバラあられが落ちてきました。寒い!!
あしたは吉田神社の節分祭、静かな気持ちで行こうと思います。

# by ai-pittura | 2010-02-02 19:05 | | Trackback | Comments(2)
2010年 01月 31日
版画工房での日々2















PHOTO by Akihito &Miyuki Fujii

銅版画工房カプラムマニアにて二度目の滞在制作を終え、
凝縮されたようにあらわれたものを毎日のように反芻する。
それぞれの役割が前回よりはほんのすこし手に馴染んだ道具たち。
何かと何かの間を綱渡りするような手探りのなか、すこしだけ近づけた時、束の間のよろこびと
次の瞬間投げられた石の波紋に傾く自分。
押す力と引く力と、ジグザグに曲がりくねった道のなかで
まだまだ形にならなくても版に向かうことの大きな大きな意味を感じさせてもらった日々。

ありがとう。




工房へ向かう車からみる琵琶湖の毎日違う光と、ある日は雪に隠れた比良の山並、
ちいさな鉄橋がとても好きで。

# by ai-pittura | 2010-01-31 00:35 | 版画 | Trackback | Comments(2)
2010年 01月 24日
海のような

版画はひらたい彫刻だ。
立体をとじこめた平面だ。
わずか数ミリの銅版に深い深い海がかくれてる。


カプラムマニアでの滞在制作を終えてもう京都に帰っています。
前もそうだった。
心が思うよりもはやく、銅版を彫る感触を手が欲して、驚く瞬間がある。
言い得ないものを、まんなかにあるものを今からゆっくり考える。

# by ai-pittura | 2010-01-24 21:45 | 版画 | Trackback | Comments(3)
2010年 01月 13日
開始

# by ai-pittura | 2010-01-13 00:32 | 版画 | Trackback | Comments(2)
2010年 01月 11日
日本画新展
この展覧会は、日本画活性化のためJR西日本、京都新聞が
新人賞を創設した展覧会で今年が2回目となります。
京都を中心として制作、発表する25〜45歳の日本画家が対象で
選考委員が選んだ38名の新進作家の作品と、選考委員5名(大野俊明、
小嶋悠司、竹内浩一、林潤一、村田茂樹)の作品が展示されます。

私は『雲下の素描』という100号の絵を出品しており、
今回優秀賞をいただきました。
感謝し、励みにさせていただくと共に
今後とも焦らず謙虚に己と向き合っていきたいと思っています。
京都駅にお越しの折には是非お立ち寄りください。

会期: 2010年1月27日(水)~ 31日(日)10:00~20:00
(最終日は5時閉館)
会場: 美術館「えき」KYOTO JR京都駅伊勢丹7階隣接
〒600-8555 京都府京都市下京区烏丸通塩小路下ル東塩小路町
TEL:075-352-1111 入場無料



明日からまたしばらく版画工房で制作させていただくことになりました。身がひきしまります。携帯は圏外なので音信不通になると思います。
それではいってきます!



★スタッフをさせていただいている美術予備校、京都美術学院の講師作品展にも参加しています。

会期:2010年1月25日(月)-31日(日)
会場:HOUSE OF ART Gallery(阪急桂駅東口)
詳細
お近くにお越しの折には是非お立ち寄り下さい。

# by ai-pittura | 2010-01-11 00:24 | お知らせ | Trackback | Comments(5)
2010年 01月 06日
新年


新しい年と、今日29歳の誕生日を迎えて静かに思うことは
邁進を掲げていた以前とは変わり、立ち止まること。
もどかしくとも立ち止まって見えてくる風景をみること。
どんな時も誠意をもって向き合えるよう、
時間の制約やまわりの音に心惑わぬように。
この家に住むのもいよいよあと一年と少し。
次住むのはどんなところだろうか。
今年は家探しの年、どこかにいいご縁がありますように。
身辺の整理をする。必要なわずかなものだけを持ってゆこう。

# by ai-pittura | 2010-01-06 10:47 | 筆休め | Trackback | Comments(8)
2009年 12月 30日
ありがとうございました

年末は主人も私も展覧会でバタバタしていましたが全て無事に終了しました。
稲富淳輔展『月よむ骨』(写真は展示風景)、
私の出品していた画心展、ギャラリーneutronにてのit's a small world展、
お越し下さった皆様、どうもありがとうございました。
来年も二人それぞれに頑張ってゆきたいと思いますのでこれからもどうぞよろしくお願い致します。

# by ai-pittura | 2009-12-30 15:32 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)
2009年 12月 24日
なつかしさ
春子おばあちゃんの個展の段取りが決まった。
個展は来年の5月末、ギャラリーはバラのお庭があるところだ。
5月はまさにバラが咲いている頃かもしれない。
この前おばあちゃんのスケッチブックを繰っていたら
おばあちゃんの文章に出会った。

ーモジリアニの絵をみてゐましたら
 不意にだれかに会いたくなりました、

それを読んだ時、さあっと目が覚めるような思いがした。
そう、そうなんだと思った。
いいものに触れた時のなつかしさ、
それは確かに自分が知っている、自分の中にあるものなのだ。
何か言いあらわすことができない。でもそれは
たしかに私がきたところであり、同時に私がゆくところでもある。
そのなつかしさをおばあちゃんは何てすらりと言ったのだろう。
ありがとう、春子おばあちゃん。
(写真、おばあちゃんの描いた10月の人物)




# by ai-pittura | 2009-12-24 22:00 | 春子おばあちゃん | Trackback | Comments(8)
2009年 12月 24日
無名の音楽家
クリスマスが近くなってから、アヴェマリアを聴きたくなってよくかけていた。
アヴェマリアといえば、グノーやシューベルト、カッチーニのものが有名だが
カッチーニの(作とされる)アヴェマリアが群を抜いて好きだ。
作とされる、と書いたが、
本当はこの曲をつくったのはロシアの音楽家ヴラディーミル・フョードロヴィチ・ヴァヴィロフである。

ヴァヴィロフ(Vladimir Fiodorovich Vavilov, 1925年5月5日 – 1973年11月3日)は
ロシアのギタリスト・リュート奏者・作曲家。ソ連における古楽復興の立役者である。
ヴァヴィロフは、自作をきまって昔の作曲家、たいていはルネサンス音楽やバロック音楽の
作曲家のものとした。また、時々それ以後の作曲家になることもあった。
ヴァヴィロフは、名目上の「作曲者」のしかるべき作曲様式にはまるで無頓着であった。
とりわけ有名な偽作に以下の例がある。
「フランチェスコ・ダ・ミラノ作」の《カンツォーナ》(または《黄金の都市》とも)
「アンドレイ・シクラ作」の《マズルカ》
「ミハイル・ヴイソツキー作」の《悲歌》
「ニッコロ・ニグリーノ作」の《リチェルカール》
「バラキレフ作」の《即興曲 "Impromptu" 》(ヴァヴィロフの偽作の中ではかつて最も有名だった)
《カッチーニのアヴェ・マリア》ヴァヴィロフ自身は作者不詳としていたが、
いつの間にかジュリオ・カッチーニ作として定着した。

ヴァヴィロフは窮乏の末に膵臓癌によって亡くなった。

それから数ヵ月後に《黄金の都市のカンツォーナ》が発表されると、一夜にしてヒット作となった。
(wiki)

《カッチーニのアヴェ・マリア》はガランテ、アンドレア・ボチェッリ、スラヴァなどによって歌われているものが有名で、
スラヴァを教えてもらった時はその世界観に驚いた。
歌い手の解釈によって本当に表情をかえるこのアヴェマリア、ドキッとするようなスラヴァも
朴訥な素直さを感じるボチェッリも私はそれぞれに好きで
なによりそれを支えている旋律の深い響きに心をうたれる。





作家自身の名前などのこらなくてもよい、それがいいものなら作品だけがのこってゆけばいいと
その信念をヴァヴィロフは生きたように思えてならない。


# by ai-pittura | 2009-12-24 15:38 | 人間 | Trackback | Comments(2)
2009年 12月 16日
待つ
できるかぎり週に一度、版画工房へ行っている。
工房に置いているつくりかけの版画のことが気になって
よく思い出している。
続きがはやくしたい。
でも、今すぐできないのもいいかもしれない。
銅版画はほんとう、忍耐だ。
腐蝕の待ち時間もそう、
左右が逆転することもそう、
間接的だから
ひとつ前に戻ろうとした時
その何倍もの時間がかかるのもそう、
すぐに答えをくれない。
ただじっと待つ。
立ち止まって遠くをみる目で
そこにあるものを掘りおこしてゆけるように。


# by ai-pittura | 2009-12-16 00:40 | 版画 | Trackback | Comments(4)
2009年 12月 11日
稲富淳輔展
稲富淳輔展
ー月よむ骨ー
会期:12/19(土)~12/25(金)
12:00~19:00
(最終日17:00まで)
会期中無休、入場無料

作家在廊日:12/19、20、23、25
会場:ギャラリー歩歩琳堂
神戸市中央区元町通1-10-11
元町エビスビル3F
TEL:078−321−1154





お知らせが間際になってしまいましたが来週土曜日より主人が神戸で個展をします。
年末の忙しい時ではありますが、何卒ご高覧賜りたく存じます。
白い壺たち、今回はすこし銀をまとっています。
上の写真は主人の作業場風景。

# by ai-pittura | 2009-12-11 22:20 | お知らせ | Trackback | Comments(2)
2009年 12月 09日
香りの色

小ぶりの柚子をいただいた。
手のひらにおさまる小さな丸を湯船に浮かべる。
以前にも書いたことがあるだろうか、我が家はお風呂に灯りがない。
理由は、スイッチのある壁ぴったりまで冷蔵庫が押し迫っていて手をいれることが不可能ということも
あるけれど、改良して電気を点けようと思わない。
薄闇の中で湯の温度が沁みてくると共に何かがほぐれていくのがゆっくりと感じられる。
考えていることが何となく頭から切り離されて、目の前にモクモクと浮かぶ時がある。

闇の階調に慣れるまでのあいだ、目を閉じていると、柚子の香りが強く立ち上ぼる。
その数瞬後、陽の光をそのまま写したような黄色が体に入り込んできた。
ものには、そのものがとてつもなくそのものらしい瞬間があると思う。
視覚を奪われてはじめて、それをまざまざと感じることがある。
少しずつ目が慣れて灰色の中にもののシルエットが浮かんでくる。
いくつかの柚子が湯船の端で列になったり弧を描いたりしている。
アルミのたらいの端がぼんやり白く光っている。それはとてもやさしい。
夜はすべてを等しく墨色のなかに落とし込む。ものとものは同化して禍々しい個性は消えてゆく。
その時初めてものが持つ本当の姿がうつしだされるのかもしれない。
仕事帰りの短い夜の散歩と、灯りのない(そして時々ローソクの)お風呂の時間が好きだ。
時間と空間がとてもゆったりとそこにある。

裸電球の灯りを大事にする友人夫婦の家がある。
その人のつくる料理は本当においしいんだけれど、
さらにその灯りの下で食べる時、よりあたたかい気がするのは
料理そのものを素直に引き出す空気があるからなのかもしれない。
夜を夜らしく、朝を朝として迎えること。
そんな単純なことをどれくらいできているだろうか。

# by ai-pittura | 2009-12-09 02:36 | 筆休め | Trackback | Comments(4)
2009年 12月 05日
一段落
諸々の〆切が一段落してホッとひと息。
明日は版画工房、気合い入れていこう。
イタリアの旅日記チョット更新しました。
まだヴェネツィア、この後南イタリア、シチリアとまだまだゆっくり続きます。
写真はこの前東京に行った時、インターから見た富士山。
空気が澄んでいて気持ちよかった。
富士山、今度は頂上まで登ってみたいよ。

ひとつ告知を。8〜13日まで東京、SUNDRIESにて友人が個展をします。
彼の写真のなかは静かに流れる時間があって
見終わったあとはしんとしたものが残るいい写真だなあと思います。
お近くの方がおられましたら是非ご覧下さい。
"Delay" 芦田陽介 写真展

# by ai-pittura | 2009-12-05 00:16 | 筆休め | Trackback | Comments(2)
2009年 11月 30日
東京にて

東京、アートスペース羅針盤にて画心展今日からスタートです。(写真は展示風景一部)
お近くにお越しの折には是非お立ち寄り下さい。
週末は搬入で東京でした。
練馬区立美術館の菅原健彦展が本当素晴らしいです。軍艦島、谷中Y字路、雲水峡…
風景と対する臨場感とそれを呑み込む描き手の器がものすごくて。
言葉は最小限に語り、すべてを絵で体現してきた菅原先生、
絵に向かう姿勢に深く勇気づけられます。大学院時代の恩師。
それから山種美術館の速水御舟展、『炎舞』は涙がでる。
闇のような時間の中、御舟はただじっとこの世を見つめていたのかなと。
幼い頃住んでいた家の部屋に炎舞のポスターが貼ってあり
それを見て育った。私には特別な親しみもある絵。


# by ai-pittura | 2009-11-30 13:09 | 展覧会 | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 18日
人と花
本棚のサフランが昨日いっせいに花ひらいた。
そこだけが光をうけたようにあかるくて澄んでいる。
少し前、球根をもうすこし低い棚に置いていた。
芽(茎)はニョキニョキ成長していたのに上の棚まで空きが5cmくらいに
なったところで成長がぱたりと止まった。
あわててもう少し背の高い棚に移動させるとまた伸び始めた。
サフランは頭上の距離を知っていた。
それを見ていると、あちこちに頭をぶつけながら
せめてもがくことぐらいしかできない自分が滑稽に思えたりもする。
人は、多くのを持ちすぎて生まれたばかりに
それに足をからませ、つまづきながら生きて
なんとか少しずつでも剥ぎ取っていこうともがいているうちに生を終える
そんな生きものかもしれない。
答えのでないことをずっと考えている。

薄紫の花のむこうのぽっかりとした広がりを見ていると
少し勇気がわいてくる。

それでも花と人の根底は同じ。

# by ai-pittura | 2009-11-18 16:54 | 人間 | Trackback | Comments(4)
2009年 11月 15日
年末のグループ展2つ
京都造形芸術大学日本画研究室選抜 新人作家展 vol.6 画心展

会期:東京展11月30日(月)〜12月5日(土)11:00〜19:00
(最終日17:00まで)その後京都に巡回
無休・入場無料
会場:アートスペース羅針盤

会期:京都展12月8日(火)〜12月13日(日)11:00〜18:00
(最終日17:00まで)
無休・入場無料
会場:むろまちアートコート
地下鉄四条駅すぐ四条室町鶏鉾町、池坊短期大学横
075-351-8585

お問い合わせ先:京都造形芸術大学日本画研究室 075-791-9122

日本画コースのコンクールで選抜された学生の作品+卒業生招待作家6名による展覧会です。

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年 末 特 別 企 画 展 『 I t ' s  a  s m a l l  w o r l d 』
- 平面 / 立体など、0号サイズを基本とした小作品 -

人種や宗教、政治によって分断される世界。
2009年も終わろうとする中、改めて美術に何が出来るかを問う意欲的な企画展。
neutron kyotoのギャラリーアシスタント、桑原暢子のキュレーションで贈る
「小さな小さな世界」に広がる大きなイメージ。
初登場の今村をはじめ、平面・立体を問わず0号サイズ(およそ18センチ四方)を
基本とした小品を揃え、ギャラリーの中に小宇宙が広がる様は冬の星座の様に美しく輝くだろう。
クリスマスにもぴったりの作品は全てお買い上げ頂く事が出来ます。
大切なあの人へ贈りたい、珠玉の数々・・・☆(neurtonホームページより抜粋)
*画像イメージはそれぞれの作家の作品ですが実際の出品作品とは異なります。

会期:12月8日(火)〜12月30日(水)11:00〜23:00
月曜定休

出展作家: (順不同)今村遼佑、瓜生祐子、小倉正志、忠田愛、
      寺島みどり、中比良真子、冬耳、三尾あすか

会場:ニュートロン京都

こちらは額を含め約0号サイズという小さな小さな展覧会で、私はミニの版画含め6点前後出品予定です。

*12月17日(木)はneutronカフェスペースにて19時〜22時まで大忘年会が開催されます。
当日はスペシャルゲスト「高鈴」さんによるライブ¥3.000-(フリードリンク、軽食付き)もあります。

# by ai-pittura | 2009-11-15 19:30 | お知らせ | Trackback | Comments(4)
2009年 11月 13日
ありがとう
アメイジング・ツリー/長田弘

大きな樹があった。樹は、
雨の子どもだ。父は日光だった。
樹は、葉をつけ、花をつけ、実をつけた。
樹上には空が、樹下には静かな影があった。
樹は、話すことができた。話せるのは
沈黙のことばだ。そのことばは、
太い幹と、春秋でできていて、
無数の小枝と、星霜でできていた。
樹はどこへもゆかない。どんな時代も
そこにいる。そこに樹があれば、そこに
水があり、笑い声と、あたたかな闇がある。
突風が走ってきて、去っていった。
綿雲がちかづいてきて、去っていった。
夕日が樹に、矢のように突き刺さった。
鳥たちがかえってくると、夜が深くなった。
そして朝、一日が永遠のようにはじまるのだ。
象と水牛がやってきて、去っていった。
悲しい人たちがやってきて、去っていった。
この世で、人はほんの短い時間を、
土の上で過ごすだけにすぎない。
仕事をして、愛して、眠って、
ひょいと、ある日、姿を消すのだ。
人は、おおきな樹のなかに。



大好きな詩。
11月10日、父方の祖母、きくよおばあちゃんがこの世を去った。
100歳まで生きてくれての大往生だった。
一世紀、本当におつかれさまでした。
とてもやさしい人。
笑顔がかわいくて、卓球が好きで、野球観戦が大好きで、
年をとっても麻雀の役や点数計算は忘れずにちゃっと牌を積んでしゃきしゃき打つ。
おばあちゃんと卓球勝負したことなかったけど
好きなものは見事に受け継いでるなあ。

# by ai-pittura | 2009-11-13 21:58 | 人間 | Trackback | Comments(4)
2009年 11月 09日
デイキャンプ

湖北のガリバー旅行村にて銅版画メンバーでデイキャンプ。
朝は八ツ淵の滝へトレッキング。
少しずつ近づく滝の音にわくわくしながら紅葉の始まった山道を歩く気持ちよさ。
ビロードのような背をもつ朴の葉、光に白く透けるコシアブラ、名前の由来わからぬタカノツメという木。
山は本当に知らないことだらけで、ただそこを歩いているだけで気持ちがすうっとする。


八つの滝のうち二つ目までで時間切れだったけど、今度は夏にシャワークライミングしたいな。
沢渡りでは苔でつるつるの岩で滑ってお決まりの川ポチャも嬉しかった。
滝壺近くの水はもう痛いほど冷たくて、本当にきれいだった。
山はいいなあ。久しぶりでとてもドキドキした。




お昼はバーベキュー。
藤井さん、みゆみゆ、誕生日おめでとう!
友人実家の畑野菜と差し入れしていただいた近江牛、特製鮭のちゃんちゃん焼き、焼き芋、
朴葉焼き、手作りケーキ・・・とご馳走のオンパレード。
動けないほど食べたあとは卓球大会でくたくたになり、アスレチックでローラー滑り台とターザンもして
夜はカナメちゃん考案ボードゲーム・ビンゴレットの緊張感に久々の感覚を思い出してしまう。
久しぶりにみんなで過ごした時間、自分が考え続けていること含めいろいろなことを考えさせられる。

# by ai-pittura | 2009-11-09 23:27 | 筆休め | Trackback | Comments(0)
2009年 11月 05日
行間
お布団に入ってすぐに眠ることができない夜は、長田弘の詩集をくりかえし読んでいる。
長田さんの詩は本当に秋の夜長がよく似合う。
いままた改めて、沁みとおるように入ってくる。
長田さんの詩には言葉と言葉の間に空気がある。
ほんとに書きたいことはそこにある。
長田さん、どんな人だろうと想像している。



 言葉/長田弘

悲しみを信じたことがない。
どんなときにも感情は嘘をつく。
正しさをかかげることはきらいだ。
色と匂いを信じる。いつでも
空の色が心の色だと思っている。
黒々と枝をひろげる欅の木、
夕暮れの川面の光り、
真夜中過ぎの月が、好きだ。
単純なものはたくさんの意味をもつ。
いくら短い一日だって、一分ずつ
もし大切に生きれば、永遠より長いだろう。
どこにあるかわからなくても、
あるとちゃんとわかっている魂みたいに、
必要な真実は、けっして
証明できないような真実だ。
人をちがえるのは、ただ一つ
何をうつくしいと感じるか、だ。
こんにちは、と言う。ありがとう、と言う。
結局、人生で言えることはそれだけだ。

一人の言葉は何でできているか?

# by ai-pittura | 2009-11-05 19:10 | | Trackback | Comments(6)
2009年 11月 05日
不退転
春子おばあちゃんのこと。
この前、おばあちゃんは線をひくことができなかった。
それははじめてのことだった。体調や眼の調子が原因ではなかった。
なんとか描こうとしても顔はばらばらになった。
どうしてだかわからない、
胸がつかえてどうしても絵を描くところに気持ちがおりてこない
と言ったおばあちゃんの思いつめた顔。
それは本当に素直なことだと私は感じた。
もし違う取り組み方をしていたら絵はできてしまっただろう。
紙の上にただ鉛筆を走らせることができてしまえば。
おばあちゃんはそれができなかった。
その日は、絵を描く手は休めましょうと言った。
そしておばあちゃんの見たいものを聞いた。
絵を通して何をしたいのかゆっくりと話をした。
最後におばあちゃんは、これは年のせいなんてことじゃない、
私の問題です、もっとちゃんとものを見たいと言っていた。

写真はおばあちゃんの以前のスケッチ。眼の練習。いつもこうして何度でも描いている。


# by ai-pittura | 2009-11-05 16:32 | 春子おばあちゃん | Trackback | Comments(4)
2009年 10月 29日
秋の日
ここしばらく、ゆっくりと絵を描く時間を持てていた。
今週は先週に比べて陽が沈みはじめるのが15分はやくなった。
ベランダではもう17時前までしか描けないけれど、
それでも、その限られた時間の中にゆったりとした何かがあった。
ここ二日ほど、絵に向かっているなかで
何度も何度も帰りたいという感覚に包まれた。
帰りたい。帰したい。
その感覚だけがずっとあった。
どこに、何を、なぜ、それが私にはわからない。
知りたい、でも明確にわかる必要なんてないのだとも思う。
その感触だけもってゆければ。
秋の空は雲がとてもきれいだ。

# by ai-pittura | 2009-10-29 18:08 | | Trackback | Comments(2)
2009年 10月 27日
神戸アートマルシェ2009展示風景




ご報告がとても遅くなってしまったのですが
イタリアに行っている時、
9月4日(金)・5日(土)・6日(日)の三日間
神戸初のホテル型アートフェア『KOBE ART MARCHE 2009』
(神戸アートマルシェ2009)のニュートロンブースで
私や主人の作品も展示していただいていました。
展示風景の写真をいただいたのでアップします。


出展作家:足田メロウ、稲富淳輔、入谷葉子、
     瓜生祐子、小倉正志、忠田愛
部屋番号:クラウンプラザ神戸1528号室

アートマルシェHP

PHOTO by neutron

# by ai-pittura | 2009-10-27 23:37 | | Trackback | Comments(0)
2009年 10月 26日
メモ
この前バスを待っていた時、町を歩いている人々や車、建物がその輪郭を失い
中にあるものが膨らんではみ出したり小さくなったりしていくような感覚に束の間襲われた。
それは普段からもしばしば感じることで、特に人と対している時に誰もが感じるようなことだと思う。
その人に山や炎の風景が見えたり、
あるいはくしゃくしゃに丸まった、吹き飛びそうな紙ほどに小さく感じたりすること。
日本画のなかに「骨描き」といってものの輪郭線を細い筆で追う作業があり、
大学に入った頃、何度かしてみたが私にはどうしても相容れなかった。
骨描きは、読んで字の如く本来ものの骨子を描くものであり、骨描きをすることによって
ものの中心を見事に昇華している日本画家が多くいるし
一本の線にはそういう力があると思う。
ただ、今も私がそうしようと思えない大部分は上記の故で
網膜にうつるもののかたちを頼りにしながらも、そのものの揺るがないところを引き上げるには
どうしたらいいだろうと日々悩む。
自分にとっての絵は「描く」というより引き上げる、立ち上げるという言葉がしっくりくるなあと最近思う。
版画で版全面に強い腐食をかけて犬が闇の中に沈みこんだ時があった。
海底から糸をたぐりながらこちらに引き上げてくるような感覚が忘れられない。
そこに銅という強い抵抗感があったから、よりはっきりした。
今それらを絵で反芻している。
人は何かに気付くことはできる。
でもそれ自体は必ずしも大きなことじゃない。
気付いてそれを実感として、ずっと休み無く考え続けること、
一瞬一瞬を積み重ねることのとてつもない難しさ。

# by ai-pittura | 2009-10-26 13:22 | | Trackback | Comments(4)
2009年 10月 21日
樽酒


十年来の友二人と赤垣屋で飲む。
料理が美味しく、大将や店の人たちのなんて気配り上手で気持ちのいいこと。
ひとくち飲んだ瞬間に広がる杉の香り、樽酒ってあんなにおいしいものなんだと。
十年前の私たち、それぞれの状況、そしてそれぞれの今、
互いの変遷も変わらぬものも三者三様そこにあって
過去から今に向かって流れる川の中にいる自分をもう一度追体験するような感覚にふとなる。
人に話す言葉はとても難しい。
言葉上で話すことはできるかもしれない。
本当にお互いの実感をもって話せるところの言葉や言葉じゃないものを見てゆくことの難しさ。

# by ai-pittura | 2009-10-21 11:21 | 京都 | Trackback | Comments(4)
2009年 10月 19日
見たいもの
遠いところに見たいものがある。
でもそれは本当は目の前にあるものだ。
すぐそこに。
絵も、もうすでにそこにある。
そのことを感じるようなことがあった。
それなのに私の目は何重もの膜で覆われていて見えない。
こうしている一瞬一瞬のうちにも膜は積もっている。
そんな自分の状況を本当に引き受けることと、それでも決して諦めないこと。
そうとしか言えない。

# by ai-pittura | 2009-10-19 09:27 | | Trackback | Comments(2)
2009年 10月 17日
遠いところ


降っては止み、降っては止みの今日の天気。
ベランダの絵と画材道具一式をあわてて取り入れては、そろそろと出し、
雨が激しくなってきては退散しの繰り返しで落ち着かない。
おてんとさまよ、でもそういうものよね。
最近ずっと考えつづけていることがある。
音楽も同じものばかり何枚か繰り返し聞いている。
南イタリアですっかり心奪われたpizzica、tarantella。
トスカーナのJさんが薦めてくれた時にはじめてそういう音楽があると知った。
タランテラ はイタリア、ナポリやプーリアの舞曲。3/8または6/8拍子のテンポの速い曲。
タランテラという名前は、タラントという町の名前に由来するという。
または同じ町の名を由来とする毒蜘蛛のタランチュラに噛まれ、
その毒を抜くために踊りつづけなければならないとする話から付けられたという説もある。〔wiki〕
直接、真ん中をつかまれるような音楽。そしてジプシー音楽のようにどこか懐かしい。
渡辺勝は古いお酒のようだ。
まだその先があるかというほどつづいてゆく。
松倉如子の歌声の中にも。
それからレクイエム。モーツアルト、フォーレがとても好きだけれど
ゆうこちゃんがくれたカンプラのレクイエムをよく聞くようになった。
ずっとずっと聞き続けられるもの、永い視線に耐え続けられるもの、
それはとても遠いところにある。

イタリアの旅の記録を少しだけ更新した。----------Click
最近もの忘れのひどさが増しており、記憶が新鮮なうちに留めておきたいこともあるのだけれど。
でも忘れるならやっぱりそれまでのこと(!?)、残るものは残るんだという感じなので
やっぱり更新は亀のあゆみです。


# by ai-pittura | 2009-10-17 16:39 | | Trackback | Comments(10)
2009年 10月 12日
秋風
夏がはじまった頃から、春子おばあちゃんは正面像だけでなく、
横顔や様々な表情を描こうと挑戦している。
そこでしていることが模写。
模写もまた終着点がはっきりしている分、とても正直。
描けない細かい部分にだけ集中していると全体が崩れる。
手元のことに入り込んでいくことと、
それを忘れて引くこととの二つのバランス。
おばあちゃんは展覧会の実現に向けて燃えている。
私は今日から100号の制作に入った。
ベランダの制作、3か月ぶりだ。久しぶり。
夕陽に染まった秋の雲がパネルの向こうを流れてゆく。
そうこの感じ。


# by ai-pittura | 2009-10-12 21:55 | 春子おばあちゃん | Trackback | Comments(2)
2009年 10月 11日
日常
旅はやっぱり好きだ。
思ってもみないものに出会うとことは純粋に嬉しいし、
お腹を空かし、ごはんを食べ、足が動かなくなるまで歩き、ぼろ雑巾のようになって眠りに落ちる日々は
ただ生きることを鮮烈に照らす。
その中では確かにものや事が浮き彫りになるし、
自分を遠くから眺めているような状態にもなる。
でも、それは決して旅でしかできないことじゃない。
知りたいことは、見るべきことは
様々な現実が混在する日常の中に、
いつもいる自分の場所に、
そして自分の中にこそある。
心に刻みたい。
伏して、問い続けたい。
日常の中で、絵の上で。

# by ai-pittura | 2009-10-11 21:29 | | Trackback | Comments(2)
2009年 10月 06日
化石の犬


PHOTO by Akihito & Miyuki Fujii

私は犬の銅版画をつくった。
写真や試し刷りの経過をみると改めて驚く。
はじめの頃、筋骨逞しくオオカミのようだった犬は、
日を追うごとに痩せてゆき骨露になった。
版も限界というくらいぼろぼろになっていった。
そして、最後の最後に明確になったある一瞬は
導火線を伝う火花のように、自分の中にあるあらゆることとつながった。

不思議なことに、私はこの『犬』を毎日ぶっ通しで制作してきたにもかかわらず、
また自分のなかで節目となる作品になったにもかかわらず
どんな作品だったかを具体的に思い出すことができない。
その図像や色は朧げながら浮かぶのだが、
普段、自分の作品を思い出すときのような感触をもって思い起こすことがまるでできない。
それは『犬』が完成したあとも見る時々によって様々なものをうつすからなのだろう。
私がもっと見なければならないものたちが、この中に封じ込められている気がしてならない。
私のところに来てくれた犬。
版画はさながら化石のようでもある。

昨年の秋、neutronの個展でじいじいの連作を終えてからのブログ大体一年分を読み返してみた。
そこには忘れていたこと、捨てたもの、いろんなものが散りばめられていて
気づくこともたくさんあった。
一年、点はゆるやかな線となり私を押してくれていた、その流れと自分の変化を改めて思わずにいられない。
考えて考えて考えつづける時間がまた始まっている。
これから絵の制作に入りながら、ひとりのその時間をしっかりと持ちたい。
ここからはじめてゆく。


# by ai-pittura | 2009-10-06 11:32 | 版画 | Trackback | Comments(4)
2009年 09月 29日
版画工房での日々






銅版画工房カプラムマニアでの滞在制作を終え、久しぶりの帰宅。
刷り師藤井章人との、濃く、重みある日々。
版の上に乗ってくるカエル、青虫、アリンコ。
工房内を飛びかうオニヤンマ、蝉、ハチ。
電線に整列する赤トンボ。
悲しいほどの秋の風。
海原のように波打つ蕎麦の花畑、
情念のように燃えたぎる彼岸花の群生。
風にチリチリ揺れる星々。
斜めに急降下してゆく木々と落ちていきそうな空。




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# by ai-pittura | 2009-09-29 11:38 | 版画 | Trackback | Comments(2)


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